幼児期の性格形成に活用できる算命学

何でも陰陽で捉えることが、東洋古典、
算命学・暦学の基本である。

教育も同じこと。
今回は、東洋古典の視点から「子育て法」について考察してみよう。

教育を時期で分けると、
乳幼児期・幼児期・学童期・青年期・成人期・中高年期・高年期と、
7段階あり、当然の事ながらそれぞれの教育法は違う。

東洋古典から捉える幼児期の教育法

中国では「100年教育」という言葉がよく使われる。
教育を、まず大きく、陰陽に分けると、
長期ビジョン、短期ビジョンで捉えることができる。

親なら、我が子に「立派な教育を受け、世間に役立つ人間にする」事こそ、親の役割だと思うだろう。
実はこれは、成人までをゴールとする、短期ビジョンである。
子供を扶養する義務は、法律でも成人までなため、「成人するまで」と考えるのは、親の当然の認識だ。

それでは、「100年教育」とは何かというと、
100年後の世界をより良いものに変えていくことを考えた教育法であり、その人物の生涯全体を視野に入れている長期ビジョンの教育法だ。

今日生まれた人が、社会の中核を担うのは50年後、
その人の子供が担うのが100年後。
つまり、自分の孫が創りだす世界まで考える教育法が、
100年教育である。

100年教育を施そうとした場合、
最も大切な時期が、7歳までの幼児教育だという。
陰陽学では、この期間厳しく育てない限り、その後、どんな教育をしても善良で賢明な人間にならないという。
善良であるが、賢明でなかったり、
優しいけれど、意気地がない、やる気がないなど、その後の人生において、様々な問題が表出するという。
まるで今の若者ではないか

その理由は、現在ではなく、彼らが0歳~7歳までの間、今から20年前に遡る。
バブル経済崩壊と、雇用機会均等法の成立により、女性の社会進出が促進され「働くお母さん」が増加、子供達は「お客様」として託児所で過ごす時間が増えた事も影響しているという。

先天の元気

人間の身体には、「先天の元気」がある。
「先天の元気」とは、生まれる前、五臓六腑が具わる前に受けている気である。
「天一水を生じ、天二火を生じ、天三木を生じ、天四金を生じ、天五土を生ず」という言葉があり、

先天の元気の根源、人間の根源は、水から誕生する。

《霊枢・経脉》にも、人は先ず初めに精から生じる、とあるように、
そもそも人が生まれるということは、
父の一滴の水気が母の胎内に入り、
この水気が根元と成って徐々に五臓六腑や五体全身が生じ堅まるのだ。
参考:医学節要集 https://blog.hari-i.com/koten/sugiyamaryuu_sanbusyo/setsuyou

水の気を、五行に置きかえると、腎の気である。
腎の精気が、母親の胎内で養われるものこそ、胎児であり、
そこから地上に生まれ、木性(青龍)として誕生し、
男子は「甲」、女子は乙女という言葉からも分かる通り、「乙」となる。

そのため、誕生してからも、まだ水性の腎系が旺盛であるため、よく眠る。
この頃の心理的には情性と、周りを知ろうという知的関心、何かを察知しようとする好奇心だけであり、知性はまだ獲得していない。

3歳位まで、自分の周囲に存在する人の存在が認識できていない状態で成長していく。
ニコニコ笑う我が子をみて、親は自分達を認識していると思ってしまうが、実際は誰が親か兄弟か認識していない状態だという。

そのため、この時期は、視覚や言葉を通しての理解より、
腎系の働きである聴覚や肌からの触覚による教育が有効的だという。

その過程で最も大切なことは、「陰陽の心のひだ」を作ることだという。

「陰陽の心のひだ」なので、嫌なこと、楽しい事の両方がなければならない。
物質面と精神面の両面がなければならないという。
楽しい事だけだと、ひだのないフラットな状態になるという。
つまり、物質的な不満・満足と、精神的な不満・満足が同じ量なければ、綺麗なひだは作れない。

無意識の時期に、このひだが作られると、意識の芽生えと共に、様々な感情がこのひだの中に蓄積し、情性が育っていくという。

情性教育

このように、3歳までのポイントは、無意識の情性力形成だ。
この時期は、知性や理性はほとんどなく、情性力が強い。
そのため、情性教育をしっかりと行わねばならない。

いつも抱かれていたり、バギーに乗ってばかりいると、それが習慣となり、引き離された時の孤独感や不安感が強まり、子供の先天的性格によっては、その心理状態が増幅されトラウマになるという。
特に、天将星(王者)を所有している子供は、留意することが大切であり、このような強さを所有した子供は、思った通りにならないことを経験させながら、「陰陽の心のひだ」をしっかり作ることがることが大切だという。
過保護にすると、甘えが強くなり、わがままになり、自己要求を満たせないことから心理的なゆがみを生じる。

それが成人するにつれ、思った通りにいかない現実を悲観する「自己悲観」に陥る心理状態になる場合も多い。
天将星(王者)所有者には、多くみられる現象で、「自己悲観」「被害妄想」で不満を言ってくる人が実に多い。

小さいストレスの蓄積が形成する心理状態

意識が芽生えるようになると、親から何気なく言われる一言が、「心のひだ」に蓄積する。
例えば、「何でのろいの」「何で出来ないの」「何言っているか分からない」というような言葉が蓄積していくと、成長するにつれ、他人に何かの拍子で言われたり、進学に失敗したりと「人生、想い通りに行かなくなる」と、「心のひだ」に蓄積されていたそれらの言葉が増大していく。「心のひだ」に陰陽の蓄積、プラスの蓄積があればそこで調整されるのだが、ひだの浅い状態だと、ひたすらマイナス部分が蓄積していく。

それに対し、反抗的な言動が出来ればまだ良い。
反抗もせずに、細かいストレスが溜まりに溜まると、徐々にそれが怒りに変化し、世の中に対し、自分自身に対し怒りを持つようになる。

これを、「怒りの内向」といい、真面目で大人しい性格の人ほど、我慢、忍耐してしまい、持つようになる。
この内向された怒りは蓄積すると、年齢を重ねるにつれ、表情が暗くなる。

この怒りの特徴は、自分が人より劣った状態になったり、自分一人になる時に顔を出すという。世間に対し、自分に対し怒りを持っているため、重度になると、世間との付き合いを遮断するため、アスペルガー症候群と判定される場合もあるという。

ストレスを抱えながらも、暗い表情で心が傷ついていくが、初期の段階では人の話を非常によく聞く。
これ以上傷つきたくないために、自然に心を守ろうとするため、用心深くなるため、誘われても断ったり、社会との関係性を極力なくそうとし、孤独の世界に入っていく。

孤独の世界とは、自分の好きな事に集中できる世界なので、技術や芸術・学術は向上するというメリットもある。自分自身は世間に否定されたくない、傷つきたくないため、物や文学や絵画や楽器など、何かに変換して伝達しようとする。

しかし、天賦の才能を有している人は、世に認められるだけの才能として、名声を勝ち得て違う世界に進めるのだが、そんな人はごく一部であり、ほとんどがそのような才能などない、全く自分を表せない人間ばかりだ。

全く才能がない多くの人達は、心の傷が癒されない孤独な生活を続け、それが高じると自己への怒りが増大し、閉鎖的な考えの、何の目的も見つからないまま、40代、50代になっていく。

瞋恚

ここまで来ると、怒りは硬直化し、現状を変える気など一切なく、不平不満の塊のような状態になる。

内向の怒りを、中年期までため込むことで生じる心の毒を、瞋恚という。

これは、怒りを超えてしまった、そしてある時点から「諦めの状態」に突入する。

瞋恚とは悲しみの状態なのです。

例えば、子供の頃から経済的に苦労をした。
思った通り進学が出来ず、それでも一生懸命頑張って就職をしたが、
就職先でも学歴がないからと引け目を感じ、
後から入ってくる後輩に抜かれていく。
今にみてろと心に近い、努力を重ね、出世していきますが、
この心の奥底には本人は忘れていても怒りがあり、
心の猛毒「瞋恚」に冒されている場合があるのです。

瞋恚の怖さは、広い視野が持てない事にあるという。

 

古代中国でいう人間の性質

古代中国では、人間の性質は知性、意志力、情性の3つから成り立っていると解釈している。
例えば、知性が優れていても、意志力や情性力が弱ければ大成出来ず、
意志力が強くても、情性が弱ければ魅力的にならない。

人間と動物の大きな違いは、人間には理性があり、動物には理性がないことだ。
理性は知性に属し、人間としての道理を知り、集団生活の中で共存していく知恵である。
理性は、怠けようとしたり、さぼろうとするマイナスの情性を抑え、
真面目に働くというプラスの情性を助長させるという。

情性は理性に比べると、好き嫌いを感じやすいものだという。
理性は脳で受け止めるものであるのに対し、
情性は身体の生理を通じて発生するため、生理的な好き嫌いが影響する。

また、知性は脳の働きであり、情性は身体の生理的な感性である。
例えば、「好きになってはイケナイ人を好きになる」という矛盾も、
理性(知性)=「好きになってはいけない」、と、
情性=「好きになってしまう」生理的無意識の行動
という図式になる。

頭で考えること(知性・理性)と、
生理的に感じること(情性)の違いである。

しかし現代の幼児教育をみると、知性教育に重点がおいており、情性教育が欠けたものになっている。
また核家族により、集団的理性が獲得できずに、成長してしまう。
そのため、知性はあるが感情を抑える理性がなかったり、
情性をコントロールできず、
「何となく違うんですよね」といって会社を辞めてしまったりする。

この中で、幼児教育として必要なのは、理性教育と情性教育である。

知性教育は中高年になっても学ぶことが出来るし、意志力は小学校に入ってからでも鍛えられるが、
理性と情性はこの時期でしか出来ない教育だという。

以上から、6歳までに教育すべきことは、理性教育と情性教育である。

 

 

 

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